データに基づくセグメンテーションで、患者の行動が変わる|キャンサースキャンに聞く疾患啓発の本質とは

データに基づくセグメンテーションで、患者の行動が変わる|キャンサースキャンに聞く疾患啓発の本質とは

患者向けの疾患啓発は、製薬マーケティングの担当者にとって重要な取り組み事項の一つです。しかし、医師へのアプローチに重点を置くあまり、なかなか取り組めなかったり、取り組んだとしても画一的な内容になってしまうことも多いのではないでしょうか。患者の「行動変容」 を促すには何が必要なのか。15年以上にわたって健康診断・検診の受診促進や生活習慣病の治療率向上で成果を上げ続け、製薬企業とも協業してきた株式会社キャンサースキャン 代表取締役社長の福吉潤氏にお聞きします。

物理的・精神的な負荷を取り除き、潜在患者を治療プロセスへ導く

―まず、キャンサースキャンの事業内容を教えてください。

自治体と連携し、国民健康保険加入者を対象に、健康診断の受診率向上や生活習慣病の治療率向上を図る事業などを展開しています。

当社の最大の特徴は、潜在患者が受診・治療に移行しない状態を、健康リテラシーの低さではなく、「行動変容にまつわるフリクション(摩擦)」、つまり「行動を妨げる物理的・精神的な負荷」の問題だと捉えていることです。

例えば、従来の疾患啓発活動においては「潜在患者の健康リテラシーが高くなれば、受診や治療に移行するはずだ」という前提に立ち、疾患に関する知識伝達に専念するケースがほとんどです。もちろん、疾患についての知識不足が原因で受診・治療のフェーズに到達できない患者もいますが、たとえ知識を持っていたとしても行動に移せない患者がいる可能性もあります。だからこそ私たちは「行動変容にまつわるフリクション」を丁寧に探り当て、それを取り除くことを意識して事業を展開しています。

2008年の創業以来、徐々に実績を積み重ね、2022年度には全1,718自治体の約 43.4%に当たる746の自治体で予防医療事業を支援し、国保の特定健診対象者約1,786万人のうち3人に1 人の行動変容を促進することができました。

―製薬企業とも、疾患啓発活動における協業実績があると伺いました。

当社と自治体、製薬企業の3社でコンソーシアムを組み、数多くの疾患啓発プロジェクトを実施してきました。例えば、アストラゼネカ株式会社とはCOPD(慢性閉塞性肺疾患)、アムジェン株式会社とは骨粗鬆症の啓発活動で協業した実績があります。

―製薬企業との協業に至った背景を教えてください。

当社が自治体と予防医療の事業を進める中で、自治体が課題視する疾患領域が狭いことがネックになっていました。つまり、自治体が取り組むのは、厚生労働省からの指定により予算がつく糖尿病や高血圧、脂質異常といった生活習慣病やがんがメインで、その他の疾患領域は予算がつかないため、アプローチしづらいという課題があったのです。

しかし、COPDや骨粗鬆症は、潜在患者数が非常に多いと予測され、悪化すればQOLの大幅な低下が見込まれる、いわば「国民全体における疾病負荷が大きい領域」です。そこで、アストラゼネカとアムジェンに声をかけたところ、「製薬企業にとっても、疾患啓発を通じて潜在患者を治療につなげることは大切だ」と共感してもらうことができ、協業に至りました。

未診断・未治療患者という、バリューチェーンのアンメットメディカルニーズにも注目すべき

―製薬企業との協業を通じ、製薬マーケティングにおける疾患啓発の現状をどのように捉えていますか。

多くの製薬企業が、「アンメットメディカルニーズ」の開拓に注力しているにもかかわらず、そのディメンションが限定的であると感じています。つまり、今まで手つかずだった疾患領域を見つけようという、いわば「縦軸」のアンメットメディカルニーズに対するモチベーションが高い一方で、各疾患領域のバリューチェーン上に存在する「横軸」のアンメットメディカルニーズは重視されていないという印象を受けるのです。

もちろん、新たな疾患領域を開拓していくことも大切なアプローチですが、たとえすでに開拓されている疾患領域であっても、受診や治療につながっていない潜在患者は少なくありません。すなわち、それぞれの疾患領域における未診断・未治療患者というアンメットメディカルニーズも、相当大きいと考えられます。だからこそ私は、アンメットメディカルニーズを疾患領域という「縦軸」だけでなく、バリューチェーンという「横軸」のディメンションから捉えることも必要だと考えています。

―アンメットメディカルニーズの捉え方が変わると、マーケティング手法にはどのような影響があるでしょうか。

バリューチェーン上のアンメットメディカルニーズに関しては、患者個人の行動変容が不可欠のため、患者向けのDTC(Direct to Consumer)マーケティングの重要性が増します。

製薬企業においては、患者向けマーケティングは二の次になりがちな上に、たとえ患者向けマーケティングを行っていても、医師向けマーケティングの担当者が兼任しているケースが多く見られます。しかし、医師向けマーケティングは患者向けのDTCマーケティングとは手法も分析対象も異なりますから、本来であればそれぞれ独立して取り組むのが得策です。

―薬剤の決定権は医師にあるという状況下でも、患者向けマーケティングは有効でしょうか。有効な場合、どのように取り組めばよいでしょうか。

確かに、治療プロセスにおける薬剤選択は医師の管轄なので、患者向けマーケティングによって直接的に影響を及ぼし、売上を上げることは不可能です。しかし、治療に至るまでの入り口は、患者の行動変容の問題であるため、患者へのアプローチが有効なことは間違いありません。

そこで、製薬企業のポジションに応じて、取り組み方を調整すべきだというのが私の考えです。潜在患者が多い疾患領域において、マーケットシェアがドミナントな薬剤を有する企業は、患者の行動変容に対する投資対効果が予測しやすいため、自社単独でのDTCマーケティングが可能です。一方、その他の企業は、ROIの観点から自社だけでDTCマーケティングを実行するのは難しいと推測されますが、複数企業で連携し、コンソーシアム型でプロジェクトを進めることで、成果につながる可能性があります。

患者の行動変容の鍵は、データ分析に基づく精緻なセグメンテーション

―患者向けのDTCマーケティングにおいて、潜在患者の行動変容を促すには、何が最も重要でしょうか。

一番重要だと考えているのは、対象患者を分類する「セグメンテーション」です。他業界のデジタルマーケティングでは、個人ごとに情報や広告をカスタマイズするのが当たり前になっていますが、製薬企業の患者向けマーケティングでは、ほぼパーソナライズされていません。ペイシャントジャーニーを描いていても、一本線で済ませることも珍しくないのです。患者が受診や治療につながっていない理由も千差万別ですから、一人ひとりの患者の特性や背景状況を理解し、個別化したメッセージを送ることが重要だと考えています。

―キャンサースキャンでは、どのようにセグメンテーションを行い、メッセージを個別化しているのか、教えてください。

自治体の持つ健診データや問診データ、レセプトデータを複数年にわたって分析し、患者を分類した上で、最適なメッセージを考案しています。

COPDの患者を例に取ると、治療を開始したが現在中断している人、検査をしたものの治療に至っていない人、喫煙歴があるにもかかわらず検査も治療もしていない人に分類することができ、さらに最後のセグメントは、かつて喫煙していたが今は禁煙している人と、現在も喫煙している人に分けられます。

すると、治療中断者に対しては、「治療は継続することこそ大切」と伝えられますし、検査をしたものの治療に至っていない人には、「治療してこそ意味があります」、検査も治療もしていない元喫煙者には、「禁煙したとはいえ、肺は傷ついている状態なので、検査を受けてみてください」、検査も治療もしていない現喫煙者には、「肺に大きなダメージが蓄積しているので、一度検査を受けましょう」といった方向性のメッセージを送ることができます。

このように、患者の行動変容を起こすには、「COPDを知っていますか」「その症状はCOPDかもしれません」といった単なる疾患啓発のメッセージよりも、それぞれの患者の状況に応じたネクストアクションを伝える方が、はるかに大切なのです。

―とはいえ、セグメンテーションの土台となるデータは、機密性の高い個人情報です。その活用に障壁はないのでしょうか。

前提として、当社は自治体と委託契約を結んでいるため、個人情報の第三者提供に当たらないという事実があります。また、15年以上にわたり、全国の4割以上の自治体を支援してきた実績により、信頼して任せてもらっているという側面もあります。

多くの製薬企業では、プロダクトや施策を検討するのに匿名化されたデータを用いますが、当社のように個人向けマーケティングに注力するならば、個人情報は必須だと考えています。

―セグメンテーションを行う上で、気をつけているポイントはありますか。

データの分析だけでは患者の特性やニーズを十分に把握しきれないことがあるため、インタビュー調査を重視しています。

例えば、国立がん研究センター・大阪大学との共同研究では、インタビュー調査を通して乳がん検診の未受診者のセグメンテーションを行いました。すると、乳がん検診に関心を持たない無関心者は全体の20%にも満たず、むしろ関心はあるが恐怖感のために検診を受けられない検診関心者や、検診を受けようという意欲はあるが方法などがわからず受診できていない検診意図者が一定の割合を占めていることがわかりました。 つまり、無関心者を想定した疾患啓発が響かなかったり、むしろ逆効果になってしまったりするセグメントが存在することが明らかになったのです。

一方、病院で治療歴があるにもかかわらず、診断が下されていないために疾患を認知していない層がいることがわかったのが、アムジェンとの協業事例における、骨粗鬆症患者へのインタビューです。骨折を繰り返す場合、骨粗鬆症の疑いがありますが、患者に聞き取りを進めるうちに、骨折の治療プロセスに入る段階でそもそも骨粗鬆症の診断を受けていない人が多いことに気づきました。整形外科的な処置だと、ギプスやボルトで固定する骨折治療がメインとなり、骨密度を強化する治療が行われないケースが少なくないことが原因と考えられます。結果的に、骨折の際に骨粗鬆症の診断を下されていない患者は、疾患を認知しておらず、疾患名を掲げた啓発メッセージに反応しない可能性が高いことが発覚しました。

これらのインタビュー事例を鑑みれば、情報を持つ側の視点で疾患の認知を上げようとするよりも、患者側の視点に立って患者が自分の健康や疾患をどのように捉えているかに思いを馳せる方が、患者の行動変容を起こすのにはるかに有益であるとわかります。

分断した予防領域と治療領域の橋渡しになる

―今後の目標について、教えてください。

まずは、引き続きセグメンテーションの精度向上に努めます。断定的な表現で受診を促す以上、本来的にはカルテまで調べた上でセグメンテーションを行うのが望ましいのですが、そこまでのデータを収集することは不可能です。そこで、自治体の持つデータの分析を限界として個別化したメッセージを送っていますが、カルテの情報がないので合併症などの事情があって治療をしていない人にも、治療促進のメッセージを発信しかねないというリスクは避けられません。そのため、各疾患領域の権威である医師たちに監修協力を依頼し、患者を分類するアルゴリズムの精緻化に日々取り組んでいきます。

ゆくゆくは、予防領域と治療領域の橋渡しになりたいと考えています。現在の医療業界を見ると、予防領域と治療領域で構造的な分断があります。予防サイドでは、患者に健診結果を伝えるにとどまり、その後の治療過程を追えていませんし、反対に治療サイドでは、健診結果が芳しくない患者でも、診察に来ない限りアクションを起こせないのが現状なのです。この分断状況の帰結として、多くの患者は疾患が進行した段階から治療をスタートさせることになっています。

だからこそ、自治体が持っているデータを活用して人々の疾患リスクを発見し、早期発見と早期治療につなげることに大きな意義があります。その役割を担うのが、私たちであると強く自負しています。