「対面回帰」だけでは語れない、製薬企業の情報提供戦略の現在地/ファーマIT&デジタルヘルス エキスポ 2025
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2025年4月開催の「ファーマIT&デジタルヘルス エキスポ 2025」では、一般社団法人製薬ビジネス研究会により「製薬会社が考える情報提供の在り方」と題したセッションが開催されました。モデレーターを務めた同会代表理事の米良克美氏、そしてパネリストのグラクソ・スミスクライン株式会社 安達佳彦氏、ユーシービージャパン株式会社 川野清伸氏の3名により、業界変化と多様化するチャネルの中で、製薬企業が直面する情報提供の課題と今後の方向性について議論されました。
製薬業界における情報提供:変わるものと変わらぬ医師ニーズ
安達氏は冒頭、製薬業界の現状について言及。年々減少するMR数、コロナ禍での医療機関訪問規制、そしてデジタルチャネルの拡大などを経て、情報提供環境は変化を続けていることを説明しました。
このような背景の中、興味深いことに医師の情報ニーズの本質に大きな変化はなく、対面でのMR訪問や講演会を重視する傾向や、新薬情報、治療ガイドライン、既存薬の新たな知見などへのニーズも一貫しているといいます。また、エビデンスに基づくサイエンティフィックな情報を、簡潔かつポイントを絞った形で提供することへの要望も従来とさほど変わりません1-3)。
一方で、患者中心の医療の実現に向けて医師の倫理意識が徐々に変化していることを肌で感じていると語り、それに伴い製薬企業のプロモーションの目的も「販売」から「医療貢献・信頼構築」にシフトしてきているといいます。
原点回帰:対面コミュニケーションの価値の再認識
安達氏は、製薬業界のチャネル戦略の進化について「Step 1:対面営業」「Step 2:単発的なデジタルチャネル活用」「Step 3:マルチチャネル情報提供」「Step 4:顧客体験(CX)を中心とした情報提供」「Step 5:AIによる自動化」の5段階で説明。その上で、実際には多くの企業がStep 3で止まっており、CXを中心とした情報提供や、AIによる最適化まで至っていないのではという見解を示しました。
現状、最も効果的な情報提供方法として挙げられたのは、対面またはWebでの講演会(Peer to Peer)と、その後1週間以内のMRによるフォローアップの組み合わせです。ミクスOnlineが実施した調査でも、MRが業務目標達成に最も有益と感じているのはこの組み合わせであることが示されています4)。
情報提供の進化の壁となっているのは、医師のセグメント分けの難しさ、コンプライアンスの壁、情報提供に対する部門ごとの考え方の違いやリソース不足といった課題です。どの医師が新しい治療法に積極的か消極的か、というようなセグメント分類は実際には困難が多く、またそれをクリアできたとしても、コンプライアンス上の制約から個別化された情報提供にも限界があります。さらに、投資対効果の測定では対面活動のインパクトが圧倒的であるため、自然とそちらに集中するという現実があります。
CX起点のオムニチャネルアプローチが普及しない理由
川野氏は、CX起点のオムニチャネルアプローチが普及しないことについて、それを実現するための要素のひとつである「組織体制とガバナンス」の視点から私見を述べました。
必ずしもすべての企業にオムニチャネル戦略が必要ではなく、目的に合わせてマルチチャネルアプローチも有効であり、重要なのはチャネル選択と投資配分の最適化だと前提を置いた上で、「組織体制・ガバナンス」を阻む課題として以下を挙げました。
- 規制環境:規制の厳しい製薬業界ではニーズに応じたメッセージやそれに基づくコンテンツ作成が容易ではない
- 医師の変化:コロナ禍の終焉に伴い、医師の情報収集チャネルがデジタルとフィジカルの間で揺れ動いている
- サイロ化と専門家の不足:コロナ禍によりデジタル関連部門の設立など機能が細分化された
- グローバル化:戦略、ITなどグローバル規格で統一されることによりローカルで最適化することが困難になっている
川野氏は①規制環境について、Medinewの製薬企業のオムニチャネル戦略に関するアンケート調査結果(川野氏協力、未公表)を紹介し補足。同アンケ―ト調査では、オムニチャネル戦略推進におけるデータ活用の進捗度とそれを妨げる課題を各フェーズ(データの収集・統合/分析・活用/施策への活用/組織体制)ごとに問う設問において、施策への活用で最も進捗度の足かせとなっているのは「コンテンツのパーソナライズ配信」(34%)でした。厳しい規制環境下で個別化された情報提供を実現することは非常に難しく、これがオムニチャネル戦略の完全実装を阻む要因のひとつとなっていることが考えられます。
②医師の変化については、コロナ禍収束以降、医師の情報収集の対面回帰も見られる中で製薬企業も投資の重点をどこに置くか非常に悩みながら決断を迫られていることを説明。実際に同アンケート調査において、オムニチャネル戦略の中で主軸に据えているチャネルを問う設問では「MR訪問」(56%)との回答が最も多かったこと、一方で医療関係者向けオウンドサイトやWeb講演会を主軸とする回答も1割程度ずつ見られ、デジタルに振り切った戦略を推進している組織が少なからずあるところも興味深い点です。
③サイロ化と専門家の不足について川野氏は、デジタル投資の加速によりデジタルマーケティング部門、オムニチャネル部門、データサイエンティストなど、専門部署の細分化により部門ごとの最適化が進み、全体最適が図りにくくなっていると説明。このサイロ化の問題解決には、経営トップの強いリーダーシップと部門横断的な協働文化の醸成が不可欠です。インクルーシブなリーダーシップスタイルの採用、異なる専門領域をつなぐブリッジ人材の育成、そして部門間の曖昧な責任範囲を明確化する組織設計が必要となります。これらの取り組みによって、顧客中心の情報提供体制を構築することが可能になると川野氏は述べています。
働き方改革と訪問規制に対応する新たな工夫
会場を交えたディスカッションでは、働き方改革が進む中での効果的なMRフォローアップの実現方法や、デジタルチャネルのみでの行動変容が可能かどうかについて聴衆から質問が寄せられました。
安達氏はフォローアップの実現方法について、講演会の計画段階から1週間以内のフォローアップを組み込んだスケジュールを設計することや、MR同席視聴・情報交換会などの機会活用が効果的だと説明しました。また、単独のWeb講演会視聴ではインパクトが限定的であり、MR訪問との連携が重要だと強調しています。
ますます求められる効果的な情報提供設計について川野氏は、医師が朝起きてから夜寝るまでの間に、どのようなチャネルで情報を得ているか、移動中は何をしているか、診察の合間はどう過ごしているかなど、医師の生活導線に視点を向け、把握することの重要性を述べました。
また両者は、デジタルと対面チャネルの役割分担についても言及。デジタルは主に認知向上を担い、最終的な行動変容には人的チャネルが不可欠であり、各チャネルの特性を理解し、効果的に組み合わせる必要があるとしています。
対面とデジタルの最適な融合と組織改革が成功の鍵
今回の講演では、製薬企業が直面する情報提供の課題が多角的に議論されました。医師のニーズに応えるためには、単にチャネルを増やすのではなく、医師の行動や状況を深く理解した上での設計が不可欠です。また、社内の連携や体制整備も大きな鍵となります。原点回帰とも言えるMRの重要性を再確認しつつ、今後は新しいテクノロジーを活用した情報提供のかたちが求められる時代になっていることが強く印象に残るセッションでした。既存の強みを生かしながら、いかに柔軟に新しい手法を取り入れ、持続的な顧客接点を構築していくかが今後の鍵になるでしょう。
<出典>
1) Medinew, 2023.7.21, 医師の働き方改革と製薬マーケティング 後編|医師の働き方を踏まえて製薬企業が取り組むべきこと(https://www.medinew.jp/articles/marketing/trend/column-dr-workstyle2)
2) AnswersNews, 2024.3.27, 医師に直接聞いてわかった情報提供へのニーズ-「医師の働き方改革」で求められるMRとは(https://answers.ten-navi.com/pharmanews/27619/)
3) ミクスOnline, 2024.1.16, 医師がオンライン専任MRに求めること トップは「専門領域の薬剤の詳細な情報」 担当MRの同席求める声も(https://www.mixonline.jp/tabid55.html?artid=75947)
4) ミクスOnline, 2025.3.3, MRの業務目標達成に向けた活動プロセスを分析 9割「Web講演会」視聴後フォローを徹底 ミクス調査(https://www.mixonline.jp/tabid55.html?artid=77979)