中外製薬とアステラス製薬が語る、製薬業界生成AI活用最前線/ファーマIT&デジタルヘルス エキスポ2025

2025年4月に開催されたファーマIT&デジタルヘルス エキスポ 2025において、「製薬業界における生成AI活用の最前線 ビジネス変革に向けた課題と展望」と題したセミナーが開催されました。中外製薬株式会社の関沢太郎氏とアステラス製薬株式会社の森健一氏が登壇し、各社における生成AI活用の取り組みや今後の展望について語りました。本記事では、両社の発表内容とその後のクロストークから見えてきた、製薬業界の生成AI活用の現状と課題について紹介します。
中外製薬の取り組み:生成AIをパートナーとして人と組織の可能性を解放
中外製薬では、生成AIを従来の単なるツールとは異なるディスラプター(Disruptor:破壊的イノベーションをもたらすもの)として位置づけ、創薬から市販後までをカバーする全社的な変革の中核に据えています。デジタルトランスフォーメーションユニット デジタル戦略企画部 デジタル戦略グループマネージャーの関沢氏は、「AIの活用により人と組織の創造性や能力を拡張させ、医薬品の研究・開発・提供のすべてのプロセスに革新をもたらす」と語りました。
同社では、生成AIの活用を推進するための中核組織として、「生成AIタスクフォース」というセンター・オブ・エクセレンス体制を構築しています。この組織は、プロジェクト推進、技術基盤の構築、人材育成、そして安心して活用できるガバナンス体制の整備までを担っています。特に注力しているのが「積極的に活用できる環境の整備」と「安心して活用できる土壌の構築」の2点です。
具体的な取り組みとして、「Chugai AI Assistant」という全社生成AI活用基盤を構築。この基盤では、用途に合わせて6種類のAIモデルを選択でき、自社に合わせたテンプレート機能やマルチモーダル機能を備えています。社内での浸透度は高く、すでに社員の約9割がこの基盤にアクセス可能で、月間アクティブユーザーは6割を超えています。また安全な活用のため、知的財産侵害や偏ったアウトプットなどのリスクを特定し、ガイドラインや新たな生成AIを導入する際のプロセスを整備しています。
これに加え、ソフトバンク株式会社、SB Intuitions株式会社との協業による臨床開発分野のAIエージェント開発も進めています。製薬業界特化型のモデルを構築し、臨床開発で使われる文書作成エージェント、情報検索エージェント、データ分析エージェントなどを開発して、臨床試験の効率化を目指しています。
関沢氏は今後の展望として、「点から線へ、線から面へ」を掲げました。単一のタスク効率化から複数のタスクを連携させたプロセス全体の効率化、さらにはそれらを束ねてより大きな価値を生み出す段階へと進化させていきたいと語りました。最終的には創薬ビジネス全体の変革を目指し、医薬品プロジェクト数の増加や品質向上、上市までの期間短縮などの具体的成果につなげる考えです。
アステラス製薬の取り組み:創薬研究における生成AI活用
アステラス製薬株式会社 デジタルX リサーチX 次長の森健一氏は、主に創薬研究分野における生成AI活用について紹介しました。アステラス製薬では、特に初期創薬段階における仮説構築に生成AIを活用しています。
創薬研究における仮説構築では、バイオロジーと疾患を結びつける過程でさまざまな情報が必要となります。例えば糖尿病治療薬の標的であるSGLT2の例では、「SGLT2と糖尿病には関連がある」という情報だけでは不十分で、どこにあるのか、どのように作用するのか、阻害すべきか活性化すべきかなど、多くの情報を収集・分析する必要があります。
従来は自然言語処理の専門家が手作業で情報を抽出していましたが、生成AIを活用することで、より高い精度(約97%)で必要な情報を抽出できるようになりました。さらに要約機能を使うことで研究者が効率的に情報を把握でき、実験の検証へと素早く進めるようになっています。
もう一つの注目すべき事例として、AIとロボット技術を活用した医薬品候補分子の設計があります。活性が弱く特性も不十分な化合物をAIに入力し、デザイン条件を指定すると、AIが6万の化合物を設計し、その中から20の化合物を研究者に提示。実際に合成ロボットを使って合成した結果、通常2年程度かかるところを7カ月で臨床試験入りできる化合物の取得に成功しました。
クロストーク:製薬業界における生成AI活用の課題と展望
両者のプレゼンテーション後のクロストークでは、生成AI活用における課題や解決策について議論が展開されました。主な論点は以下の通りです。
技術進化の速さと投資判断の難しさ
両社が共通して挙げた課題の一つに、生成AIを含む技術進化のスピードがあります。日々新たな技術やサービスが登場するなかで、いつどの段階で投資を行い、どの技術に注力するかの見極めが求められています。
関沢氏は、現在できないことが1週間後には可能になっているというスピード感に対応するため、アジャイルな開発体制を整えることが重要であると述べました。一方で、森氏は、小さな成功体験を積み重ねて経営層の理解を得ながら、将来的なリターンを見据えて継続的な投資を行うことの重要性を語りました。
協業とオープンイノベーションの重要性
生成AIの活用には社内の努力だけでなく、社外との連携が不可欠です。関沢氏は、特に製薬業界特化のモデル構築や専門性を活かした取り組みについては、他社の技術を取り入れながら進めていくことへの期待を示しました。
森氏はアステラス製薬が利用している三井物産子会社のXeurekaが提供する創薬向けAIスパコン「TOKYO-1」の例を挙げました。同サービスは複数の製薬企業が利用しており、週に一度の顔合わせで情報交換することで、技術の進歩に素早く対応できるメリットがあると述べました。
生成AI活用を支えるデータ基盤の重要性
生成AIを効果的に活用するためには、学習や出力のもととなるデータが重要な役割を果たします。森氏は、生成AIに限らずデータ基盤構築の重要性も指摘しました。研究領域によってはデータが分散し体系的に整っていないことが多く、たとえ技術が進化していても、活用可能な形でのデータが存在しなければ、実務への応用は困難であると述べました。アステラス製薬では、より柔軟で拡張性の高い基盤の導入に取り組んでおり、これらが今後の解決策につながると期待されています。
一方、中外製薬でもデータ基盤の整備に力を入れています。関沢氏は、単にデータの保管・共有環境を整えるだけでは不十分であり、利活用を前提とした組織全体のマインドセットが不可欠であると強調しました。社員一人ひとりが、自分の業務で生み出したデータを会社の資産として捉え、個人の端末や閉じたフォルダではなく、全社で活用可能な形で共有することが求められていると語りました。
全社的な浸透に向けて
全社員が生成AIを使える必要があるのかという会場からの質問に対し、両氏とも使うことでメリットはあるとの見解を示しました。関沢氏は文書の要約やドラフト作成、アイデアの壁打ちなど日常業務での活用価値を指摘し、「ツールに組み込むことで知らず知らずのうちに使える」状態を目指していると説明しました。
製薬業界における生成AI活用の未来
中外製薬とアステラス製薬の取り組みから、製薬業界における生成AI活用は着実に進展していることがわかります。研究開発のプロセス効率化だけでなく、創薬候補の発見や臨床試験までの期間短縮など、具体的な成果も生まれつつあります。両社とも「人とAIの協業」という視点を重視し、それぞれの強みを生かした体制づくりを進めています。
一方で、データ基盤の整備やガバナンス体制の構築、投資判断の難しさなど、課題も少なくありません。また製薬業界特有の長期的なビジネスサイクルの中で、生成AIの価値をどう評価していくかも今後の検討課題です。
しかし、両氏が口を揃えて述べていたのは、最終的には患者さんのために医薬品をより早く、より良いものを届けるという共通の目標です。生成AIはそのための強力なパートナーとなり、製薬業界の未来を変える可能性を秘めているのです。