製薬マーケター業務に起きる「3つの変化」と今からの備え|MFN時代の製薬マーケティング【後編】

製薬マーケター業務に起きる「3つの変化」と今からの備え|MFN時代の製薬マーケティング【後編】

米国発のMFN(最恵国待遇)薬価政策により、「承認されても発売されない」という新たなドラッグ・ロスのリスクが現実味を帯びています。前編では、その基本構造と、グローバル企業が日本上市を慎重に判断する背景を解説しました。後編では、この構造変化が現場の製薬マーケターの業務にもたらす「3つの変化」と、今から準備すべきアクション・マインドセットを解説します。

(外資系製薬企業 製品戦略部勤務/製薬キャリア3.0運営 こういち)

>前編「MFN(最恵国待遇)薬価政策がもたらす『日本上市見送り』リスク」はこちら

現場の製薬マーケターの業務に起きる「3つの変化」

前編で整理したような業界全体の構造変化は、製薬企業の現場で働くマーケターの日常業務にどのような影響を与えるのでしょうか。従来の「承認・薬価収載に向けて宣伝資材を作り、KOLエンゲージメントを高め、MRのプロモーション活動を最大化する」という一本道のマーケティング手法だけでは対応しきれない局面が増えていきます。


具体的には、マーケターの業務に「3つの構造的な変化」が発生します。


【製薬マーケターの業務に起きる3つの変化】

  1. 売上予測・シナリオプランニングの刷新(Plan A/B/Cの並行策定)
  2. 未発売製品への「倫理的無償提供」への関与と領域定義 
  3. グローバル本社に対する「日本市場のプレゼンス・総合価値」の説明責任 

【変化1】売上予測・シナリオプランニングの刷新

従来、マーケターが行う売上予測や事業計画は、「確定した発売予定日」を起点とした単一の成功シナリオ(Base Case)を中心に組み立てられていました。


しかし、MFNや薬価交渉の不確実性が存在する現在においては、「上市が遅延する」「提示薬価次第では薬価収載を一度見送る」可能性をあらかじめ織り込んだ複数シナリオプランニングが必須となります。

複数シナリオの具体例

  • Plan A(Base / Best Case): 許容範囲内の薬価がつき、予定通り上市。標準的なマーケティング・プロモーションを実施。
  • Plan B(Delayed Launch): 提示薬価が想定を下回ったため薬価収載を一時見送り、中医協や当局との再協議を実施。上市が1〜2年遅れるシナリオ。組織リソースの凍結・再配置計画を策定。
  • Plan C(No Launch / Pricing Withdrawal): 最終提示薬価がグローバル本社の許容ラインを下回り、薬価収載を辞退(上市見送り)。商業プロモーションは中止し、後述する未発売対応や代替ポートフォリオへシフト。


マーケターは、薬価決定の直前になってから慌てるのではなく、開発早期(Phase 2/Phase 3段階)からマーケットアクセス部門(薬価部門)と密接に議論を重ね、「どのような薬価提示が出た場合にどのプランに切り替えるか」のトリガー(分岐点)と財務インパクトを定量的・定性的に示しておく必要があります。

【変化2】未発売製品への「倫理的無償提供」への関与と領域定義

「日本で承認されたが発売が遅れている(薬価未収載)」という製品が発生した場合、現場で極めて深刻な問題となるのが「目の前の患者に治療薬をどう届けるか(患者アクセスの確保)」という倫理的・医療的課題です。


海外で有効性が実証されている治療薬が存在するにもかかわらず、制度や薬価の都合で日本の患者に届かない場合、臨床現場の医師(KOL)や患者団体からの「なぜ使えないのか」「どうにかして提供してくれないか」という強い要望が製薬企業に寄せられることがあります。ここで議論に上がるのが、「倫理的無償提供」です。

承認済・未収載品の無償提供の実情とマーケターの立ち位置

■承認済・未収載品の無償提供に対する現時点での業界実情

現時点において、日本国内で「承認取得後に薬価収載を正式辞退し、全面的な無償提供プログラムに移行した」という大規模な公表事例は私が知る限りはありません。しかし、治験終了後から承認・販売に至るまでの間に人道的な観点から提供を行う「拡大治験」の枠組みや、複数の製薬企業が、承認から発売(薬価収載)までの間で倫理的無償提供を実施した事例はすでに多数報告されています。また、近年の薬価環境の変化に伴い、各社の社内(クロスファンクショナルチーム)において「もし薬価収載が遅延・見送りとなった場合、倫理的観点から患者アクセスをどう維持すべきか」というシミュレーションや枠組みの検討は、現実的な課題として議論され始めています。


■マーケターが関わるべきか、関わらない方がいいのか(境界線とリスク)

ここには非常に繊細なコンプライアンス上の境界線が存在します。結論から言えば、「マーケターが商業目的で無償提供に関与・主導することは厳禁であるが、メディカルや薬事、コンプライアンス部門とのクロスファンクショナルな検討において『市場ニーズや対象患者群の情報』を提供する役割は果たすべき」と私自身は考えています。

  1. 売上予測・シナリオプランニングの刷新(Plan A/B/Cの並行策定)
  2. 未発売製品への「倫理的無償提供」への関与と領域定義
  3. グローバル本社に対する「日本市場のプレゼンス・総合価値」の説明責任


関わり方の種類

具体的行動

NG(商業的アプローチ)

自社から無償提供をプロモーションする、見返りとして提案する

OK(戦略的データ提供)

アンメットニーズや想定患者数のデータ提供、代替療法の有無の共有


倫理的無償提供は、あくまで医学的・人道的な要請に基づいて実施されるものであり、商業部門であるマーケティングが主導すると「無承認薬または薬価未収載薬の違法な販促行為(薬機法違反や公正競争規約違反)」とみなされるリスクがあります。したがって、主体はメディカルアフェアーズ(MA)や法務・コンプライアンス部門に置く必要があります。



しかし、マーケターとしても「上市されないから関係ない」と無関心でいることは許されません。患者アクセスが失われた際のインパクトや、医療現場の混乱を最小限に抑えるための情報整理において、裏方として戦略的な解像度を提供することが求められます。


【変化3】グローバル本社に対する「日本市場のプレゼンス」説明責任

MFN環境下において、マーケターに課される最も重要かつ難易度の高い役割が、「グローバル本社に対する『日本で上市することの総合的価値』の説明責任」です。


グローバル本社は、単純な数値(日本の提示想定薬価や見込み売上)だけを見て「日本での上市優先度を下げよう」と安易に判断してしまう危険性があります。


しかし、日本で薬を出すことの意義は、単に「日本国内の短期的な売上」だけにとどまりません。マーケターは、以下のような「実質的な市場機会」や「定性・定量的価値」を言語化し、グローバル担当者に力強くアピールすることが求められます。


アジア市場(中国・韓国・台湾など)の適応拡大・承認申請へのドミノ効果

日本での承認実績や日本人におけるPMDA承認データ、市販後データは、中国やアジア諸国での承認審査・ガイドライン掲載において影響力を持ちます。「日本をスキップすることは、将来のアジア全体の成長市場における参入遅延につながる」という広域的な視点を提示することが有効です。

高品質なリアルワールドデータ(RWD)の産出能力

日本には全国民皆保険制度に裏打ちされたNDB(レセプト情報・特定健診等情報データベース)や、MID-NET、JMDCなどの網羅的な医療ビッグデータが存在します。日本で上市することにより、世界最高水準の均一な臨床データや長期安全性データ(RWD)が取得でき、これがグローバル全体の価値実証(医療経済・アウトカム研究〔HEOR〕や医療技術評価〔HTA〕データ)として他国での薬価交渉や適応拡大の武器になります。


このように、マーケターは単なる「日本法人の宣伝担当」ではなく、「グローバル本社に対して日本市場の総合的な投資対効果(ROI)を証明し、日本上市回避リスクを押し戻す戦略家」としての強いプレゼンスを示さなければなりません。

今からマーケターが準備すべきアクションとマインドセット

これまで述べた構造変化や課題に対し、現場のマーケターは今から具体的にどのようなアクションを起こすべきでしょうか。ここでは、日常業務に取り入れられる具体的なチェックリストやマインドセットの変革について論じます。

自社パイプラインにおける「MFN影響度」の早期スクリーニングとその手法

まず最初に着手すべきは、自社の開発パイプライン(Phase 1〜Phase 3)にあるすべての開発品目について、「MFN影響度スクリーニング(MFN Impact Screening)」を早期に実施することです。


ローンチ直前(Phase 3終了後や承認申請時)になってから薬価問題が発覚しても手遅れです。開発の早期段階から、各アセットのリスク度を評価しておく必要があります。


スクリーニングのチェックリスト(評価軸)

評価項目

高リスク(High Risk)の条件

中・低リスク(Low Risk)の条件

1. グローバル薬価水準

米国で極めて高額な薬価(年間数千万円以上)が想定されている

既存の普及薬と同等の薬価水準

2. 日本での算定方式

既存比較薬が存在し、低い薬価に引きずられる(類似薬効比較方式)可能性が高い

原価計算方式でイノベーション加算が十分に狙える

3. アセットの上市状況

海外で先行して上市されており、米国の参照価格リストに載っている

グローバル同時開発・同時上市が進んでいる

4. 競合・後発品の有無

日本国内に強力な競合品や後発品が存在し、引き下げ圧力が強い

ファースト・イン・クラスで競合が存在しない

5. 米国市場依存度

製品の売上計画の60%以上※が米国市場に依存している

※筆者の経験に基づく目安

欧州やアジアなどグローバルに売上が分散している


このスクリーニングにより、「リスク高(High MFN Risk)」と判定されたアセットについては、直ちに社内の警戒レベルを引き上げ、後述するクロスファンクショナルチームでの協議を開始します。

他部門とのクロスファンクショナルな早期連携

従来の製薬企業の縦割り組織構造では、開発が治験を通し、薬事が承認を取り、マーケットアクセスが薬価をつけ、最後にマーケティングにバトンが渡されて販促を始める、という流れが一般的でした。


しかし、MFN時代においてはこの縦割りは致命傷となります。早期段階からのクロスファンクショナルな連携が不可欠です。

【各部門との具体的連携アクション】

  • マーケットアクセス部門との連携:

 開発Phase 2の段階から、さまざまな薬価算定シナリオ(最良・中間・最悪)に基づくPricing Simulationを共有し合います。マーケターはアクセス部門に対し、市場の受け入れ可能な価格帯や、競合情報を提供します。

  • MAとの連携:

 薬価交渉の長期化や発売遅延時の「患者アクセス確保(EAPなど)」の検討を事前に行います。また、日本上市の価値を補強するための「リアルワールドデータ(RWD)構築計画」を共同で策定します。

  • 薬事・臨床開発部門との連携:

 PMDAとの対話において、加算取得につながるエンドポイント(PFSだけでなくQOLや患者報告アウトカム〔PRO〕など)の組み込みを開発早期に働きかけます。

  • コンプライアンス・法務部門との連携:

 倫理的無償提供実施時のリーガルリスクについて、早期にガイドラインを作成し、現場(MRなど)が混乱しない体制を整えます。

  • サプライチェーンとの連携:

 倫理的無償提供実施となった場合には、それ専用のパッケージが必要となります。そのためには事前に生産計画に盛り込む必要があります。

マーケターは、自らがハブ(Hub)となり、これらの部門を巻き込んで「日本上市の成功確率を高める全体最適の戦略」をリードしなければなりません。

「新薬を売る(Commercialization)」から「製品ポートフォリオ最適化担当者(Portfolio Optimizer)」への変容

最後に、最も根幹となる「マーケター自身のマインドセットの変革」について述べます。


かつて製薬マーケターの命題は、「与えられた新薬をいかに多く売るか」でした。プロモーション資材を作成し、デジタルキャンペーンを打ち、MRにディテール戦略を指示してシェアを獲得することが主な業務でした。


しかし、上市見送りや発売遅延が現実的なリスクとなるこれからの時代において、その狭い定義のマーケティングに固執していては変化に対応できません。これからの製薬マーケターに求められるのは、「単に新薬を売る担当者」から「自社の製品ポートフォリオ全体の価値を最適化する担当者」への進化です。


ポートフォリオ最適化担当者に求められる3つの視点は以下のように考えています。

「足し算」だけでなく「引き算」「組み換え」の思考

新薬が予定通り上市されない場合でも、既存の成熟製品(特許切れ〔LOE〕製品や既存主力品)の適応追加やライフサイクルマネジメント(LCM)戦略の再構築、あるいは他社とのコ・プロモーションやライセンスインなどによって、担当領域の事業価値を維持・拡大する柔軟性を持つこと。

「レギュレーションや壁」を前提とした迂回路の発見

現場で「コンプライアンス上無理だ」「薬価制度のルールだから仕方ない」という壁に突き当たった際、即座に諦めるのはマーケターの思考停止です。 「なぜそのルールが存在するのか」「本来の目的(=良い医療を患者に届けること)は何か」に立ち返り、コンプライアンス部門や法務部門と対面で粘り強く対話し、グレーゾーンの正しい解釈や倫理的かつ正攻法な「迂回路(代替案)」を試行錯誤するマインドが不可欠です。

ポートフォリオに対する早期介入の意識

狙い通りの薬価を獲得するためには、イノベーションが評価されるための臨床試験のデザインならびに成績、またCTDの記載内容の調整が必要になる場合があります。そのような調整は開発の早期の段階、Phase 1やPhase 2の段階から仕込んでおく必要があります。そのため、領域を担当するマーケターには、関連領域のポートフォリオに早い段階からアンテナを張っておくことが重要です。大企業であればNPP(New Product Planning)部門がその役割を担うことも多いですが、NPP不在の比較的規模の小さい製薬企業(例:外資バイオベンチャー)の場合にはマーケターがその役を担う必要が出てきます。

おわりに:製薬マーケターの真価が問われる新しい時代へ

MFN(最恵国待遇)薬価政策の台頭と日本の厳しい薬価環境は、一見すると製薬業界および製薬マーケターにとって非常に暗いニュースや「閉塞感」をもたらすものに見えるかもしれません。


「承認されても発売されないかもしれない」

「グローバルが日本を後回しにする」

「制約ばかりで何も自由な施策が打てない」


現場でそう嘆きたくなる気持ちも十分に理解できます。


しかし、見方を変えれば、「新薬をパンフレット通りに売っていれば成果が出た時代」が終わり、本当の意味での「戦略的マーケティング力」と「ビジネス推進力」を持ったマーケターが評価される時代がやってきたと言えます。


単なるプロモーションの実行者にとどまらず、

グローバル本社に対して日本市場の真の価値を論理的に提示し、

社内の他部門とスクラムを組んで複雑な薬価・倫理ハードルを乗り越え、

どんな不確実な環境下でも患者さんに最適な治療選択肢を届けるための「Plan B」「Plan C」を提示できるプロフェッショナル。


これこそが、これからの製薬業界で求められる「製薬キャリア3.0」時代のマーケター像です。


制度や環境の変化を嘆くのではなく、変化を先取りして自らの役割を再定義すること。本記事が、日々現場で葛藤しながらも医療の未来を切り拓こうとしている製薬マーケターの皆さまにとって、次の一歩を踏み出すための思考の軸となれば幸いです。