生成AIで越える製薬オムニチャネルの壁。他業界事例とワークショップで探る次の一歩|MDMD2025 Autumnレポート

生成AIで越える製薬オムニチャネルの壁。他業界事例とワークショップで探る次の一歩|MDMD2025 Autumnレポート

デジタル化が加速し規制強化が進む中、製薬企業のマーケティングは、従来手法を軸にした既定路線にとどまりやすい状況にあります。
 
2025年10月に開催された「Medinew Digital Marketing Day(MDMD)2025 Autumn」では、こうした既定路線の壁をどのように乗り越えるかをテーマに、講演と参加型ワークショップを融合した複合プログラムが行われました。
 
本記事では、他業界の有識者による全社レベル・プロジェクトレベルでの生成AI活用に関する講演、製薬企業・医療機器メーカーでオムニチャネルに関わる担当者らが参加したグループワークやパネルディスカッションの成果から、今後のオムニチャネル戦略のヒントを紹介します。

講演者
ユーシービージャパン株式会社 免疫・炎症事業部 マーケティング部長 川野清伸氏
旭化成株式会社 デジタル共創本部 リードエキスパート(生成AI・言語処理領域) 大熊智子氏
ワークショップ パネリスト
大塚製薬株式会社 医薬営業本部 プロダクトマネージメントグループ 腎・免疫領域 PMM 安藝貴文氏
アステラス製薬株式会社 日本コマーシャル カスタマーエクセレンス部部長 森岡真一氏
武田薬品工業株式会社 データ・デジタル&テクノロジー部 AI&ビッグデータ ヘッド 今井幸伸氏

※所属情報は講演実施日(2025年10月30日)時点

製薬オムニチャネルが直面する既定路線からの脱却(ユーシービージャパン 川野氏)

本プログラムのコーディネーターを務めたユーシービージャパン株式会社の川野清伸氏は、開幕の講演で、製薬オムニチャネルが従来たどってきた軌跡を振り返りました。
 
かつてMRによる対面での情報提供が中心であった「伝統的MRモデル」は、訪問規制や接待規制の強化によって、従来のモデルを維持することが困難になりました。
 
その後、Webサイトやメール、オンラインセミナーなど、デジタルでのタッチポイントを増やした「マルチチャネル」黎明期を経て、新型コロナウイルスの流行という予測不可能な事態により、対面活動が劇的に制限され、Web講演会や各種プラットフォーム活用の重要性が高まりました。そして現在、生成AIの登場により、大規模なパーソナライゼーションが視野に入り、コンテンツ生成の効率化が進んでいます。

エンゲージメントの進化の軌跡
2025.10.30 Medinew『生成AIとともに乗り越える製薬オムニチャネルの「規定路線」』資料より抜粋

川野氏は、オムニチャネルの成功に必要な三つの柱として「組織」「ケイパビリティ」「文化」という3つの要素の変革を挙げました。サイロ化された縦割り部門から顧客ジャーニー中心の設計へ、経験と勘に基づく意思決定からデータ駆動型の意思決定へ、製品中心から顧客中心への転換が求められます。

成長のための3つの柱
2025.10.30 Medinew『生成AIとともに乗り越える製薬オムニチャネルの「規定路線」』資料より抜粋

また川野氏は、理解を深めるためには事例をそのまま模倣するのではなく、いったん抽象化して原理をつかみ、自社に合わせて再び具体化する思考が大切だと述べました。この「具体と抽象を行き来する姿勢」が変革の鍵になると強調し、次の事例紹介へとつなぎました。 

他業界事例:旭化成における生成AI活用(旭化成 大熊氏)

旭化成株式会社の大熊智子氏による講演では、同社における生成AI活用推進について紹介されました。
 
大熊氏は自然言語処理の専門家として富士ゼロックス、富士フイルムを経て2022年に旭化成に入社し、デジタル共創本部で全社的な生成AI活用を推進しています。 

生成AI活用の社内体制と人材育成

同社では生成AI活用を技術的難易度と利用者数の2軸で整理したマップを作成し、戦略的な導入を進めています。個人利用かつ低難易度の領域はIT統括部がMicrosoft 365 Copilotの普及と教育を担当し、システム開発などの高度な技術が必要な領域はデジタル共創本部が担います。

デジタル共創本部における生成AI活用推進体制
2025.10.30 Medinew『生成AIとともに乗り越える製薬オムニチャネルの「規定路線」』資料より抜粋

また同社では、生成AIを使いこなせる人材の育成を重要な柱の一つとして位置づけています。これは、AI技術の高度化に伴い、今後ますます重要になるAIスキルを組織全体で高め、従業員が最新のツールを最大限に活用できる能力を育成することを目的としています。
 
具体的には、社内教育コンテンツ「Open Badge生成AIコース」をレベル1から3まで内製で用意。Teamsのユーザーコミュニティには2,500名が参加し、知識共有を継続的に促しています。

生成AIを「使いこなせる」人材の育成
2025.10.30 Medinew『生成AIとともに乗り越える製薬オムニチャネルの「規定路線」』資料より抜粋

さらに、セキュリティ面での懸念に対応するため、ユーザー用と開発者用の2種類のガイドラインを発行しています。ユーザー用ガイドラインでは、一般的なクラウドサービスとしての注意点とAI特有の注意点の両面から使い方を説明しています。開発者用ガイドラインでは、部門のIT担当者がAPIを使ってシステムを作る際に、社内でどのような選択肢があるのかをまとめています。これは単に開発を支援するだけでなく、各事業部が個別にベンダーに相談して同じようなシステムを別々に発注してしまうという多重投資を防ぐ役割も果たしています。
 
同社では、現時点でMicrosoft 365 Copilotの有料ライセンス利用者数は約4,000名ほどであり、アクティブ率90%以上を目標にモニタリングしていると大熊氏は説明しました。2024年から社内導入に向けて準備した上で段階的に施策を実施し、利用者は順調に増加しています。

IT統括部の各種施策
2025.10.30 Medinew『生成AIとともに乗り越える製薬オムニチャネルの「規定路線」』資料より抜粋

実証実験から学ぶ「プロンプト作成と検証のポイント」

続いて大熊氏は、旭化成ホームズでの設計要旨作成支援のAI活用事例を紹介しました。
 
設計要旨とは、顧客の要望や土地の条件を踏まえて、設計内容のコンセプトを200字程度でまとめた文章です。住宅外構を検討する顧客にアピールする提案文書として使用され、具体的な商談に入るきっかけとなる重要な役割を果たします。この作成には専門性が必要で、作成者の能力や経験によって品質がばらつくという課題がありました。

設計要旨とは
2025.10.30 Medinew『生成AIとともに乗り越える製薬オムニチャネルの「規定路線」』資料より抜粋

そこでChatGPTを使って設計要旨を生成し、実務経験者がそれを評価するという検証実験を行いました。
 
実験にあたり、過去の与条件とプロが作成した設計要旨のペア14セットが検証用データセットとして用意されました。
 
大熊氏は、生成AIを活用するプロジェクトでは必ず検証用データセットを準備することが重要だと強調します。定性的な評価だけでは客観的な判断が難しく、最終的な意思決定には数値が求められることが多いためです。
 
まず、データセットを分析した結果、与条件から作成された設計要旨には、以下のような特徴があることが分かりました。
 

  • タイトル部、コンセプト説明部、外構説明部の3つのパートで構成されている
  • 与条件の一部のみが反映されている
  • タイトル部やコンセプト部には、キャッチーなフレーズが含まれる
  • タイトル部やコンセプト部には、ポジティブな与条件が反映されている
  • 説明部には、ポジティブ、ネガティブ双方の与条件が反映されている
データセットの分析例
2025.10.30 Medinew『生成AIとともに乗り越える製薬オムニチャネルの「規定路線」』資料より抜粋

この分析結果をもとに、詳細なChatGPT用プロンプトを設計します。
 
最初に「外構設計が専門の一級建築士」というロールを付与し、与条件から顧客の最も重要な要望と課題を抽出させます。それをもとに、発想を飛躍させたコンセプトとキラーフレーズを作成させ、次に課題を解決する外構設計を提案させる、という段階的な指示を与えました。
 
このように、過去の成功事例を分析してその構造を理解し、それをプロンプトに反映させることで、より質の高い出力が得られるようになります。

プロンプトの設計
2025.10.30 Medinew『生成AIとともに乗り越える製薬オムニチャネルの「規定路線」』資料より抜粋

評価では、このプロンプトに基づいてChatGPTが出力した設計要旨を、人間の専門家が過去に作成したものと比較しました。実務経験者10名が、「表現性」「実現性」「実用性」の3つの指標について、5段階でそれぞれブラインド評価を実施したのです。
 
その結果、表現性と実現性については人間の専門家の方が評価の高い傾向が見られましたが、実用性については差がほぼありませんでした。このことから、下書きとして利用する分には、ChatGPTは人間の専門家と同程度に有用であることが示唆されました。

評価結果
2025.10.30 Medinew『生成AIとともに乗り越える製薬オムニチャネルの「規定路線」』資料より抜粋

生成AIがもたらす労働市場への影響と今後の展望

講演の最後に、大熊氏は2025年版の『International AI Safety Report』1)について紹介し、2030年に向けた生成AIの未来像についても言及しました。
 
これは深層学習の生みの親であるヨシュア・ベンジオ教授が議長を務め、30カ国以上、100名超の専門家が参加してまとめた国際的報告書です。
 
報告書では、AIの能力が急速に向上しており、2030年までに多くの分野で人間の能力を超える可能性があると指摘されています。
 
一方で、AIの悪用や誤作動、雇用喪失や格差拡大といった社会的リスクも懸念されています。労働市場への影響として、定型業務は自動化リスクが高い一方、研究開発や医療などではAIが人間の能力を拡張する可能性があります。AIを活用できる企業や人材と、そうでない層との間で所得格差が拡大する懸念があり、今後議論を進めていく必要があると大熊氏は述べました。

製薬業界特有の課題とグループワークでの議論

グループワークでは3つのテーマに分かれて製薬オムニチャネルの課題と生成AI活用について議論が行われました。その後、参加者によるグループワークの発表と、パネリスト3名(大塚製薬株式会社 安藝貴文氏、アステラス製薬株式会社 森岡真一氏、武田薬品工業株式会社 今井幸伸氏) を交えたパネルディスカッションが行われました。
 
参加者から共有された課題と、ディスカッションの内容を一部紹介します。

MR活動の効率化と、自社データの正確な蓄積にAIを活用

「チャネル活用」のテーマでは、MR支援に関する議論が共有されました。音声入力による日報作成の効率化については、記録の正確性と生産性の向上が期待できる一方で、医師の許容度という課題も指摘されました。
 
「AI活用において他社との差別化につながるのは自社データであり、その質が極めて重要。音声をそのまま入力するソリューションは誤情報のリスクを解決できる可能性がある」(森岡氏)
 
「医師が面談内容を録音することをどう捉えるかという課題に対しては、そうすることでの価値を感じられるようなアプローチをしていくことが求められる」(今井氏)

AI活用の初期段階はトップダウンでの推進が必要

生成AI活用のROI測定の困難さも課題として挙げられました。処方に結びついているかが不明瞭で、費用対効果の説明が難しく、経営層への説得やさらなる投資判断が困難だという声が上がりました。
 
「導入初期は細かく数値を求めすぎず、トップのコミットメントと現場のスモールスタートが推進力になる。その後、段階的にROIを意識した運用をするフェーズに移っていく」(森岡氏)
 
「生成AIの価格が電力消費の増大により今後上がっていく可能性がある。価格が10倍になったとしたら使い続ける価値はあるのか。小規模な実証実験から始めて数値を示すことで、大規模システム導入の判断材料になる」(大熊氏)

データ活用は基盤作成と統合が課題。AIで新しい視点での発見も

「データ活用」のテーマでは、基盤整備と活用について議論されました。元データを使えるデータに変換する際のデータクレンジングや、サイロ化された各部門のデータを統合して意味のあるアウトプットにすることが課題として挙げられました。
 
データ活用の具体例として、安藝氏はマーケティング業務で実施する大量の調査データの活用経験を共有しました。
 
「ChatGPT-5にローデータを読み込ませたところ、調査会社が作成したレポートとは全く異なる角度からの分析結果が得られた。AIは業界や調査の専門家ではない視点を持つため、新たな気づきをもたらす可能性がある」(安藝氏)

AIによるコンテンツの審査は、ガイドラインの解釈に人間の目が必要

医師のニーズに沿ったコンテンツ作成と審査の課題も挙げられました。
 
審査における難しさとして、生成されたコンテンツの科学的妥当性をどう判断するかという問題が指摘されました。一般的な標準レベルの情報なのか、極端な事例を取り上げているのかをAIが判断することは現状では困難です。
 
また、厚生労働省のガイドラインや適正広告基準など、人間が読んでも解釈に幅がある「玉虫色」の文章をAIが正しく理解することも難しい課題とされました。
 
「科学的妥当性のように正解がある領域は技術進歩で対応できるものの、人が見ても解釈に幅がある「玉虫色」の文章については難しい。このような判断については、最終的に人間の目による確認が必要」(大熊氏)

製薬業界における生成AI活用に必要なのは、役割の再定義と「適切な問いを立てる能力」

川野氏は最後に、生成AIが職場に与える3つの変化について整理しました。
 
1つ目は、作業の平準化と役割の再定義です。経験格差が縮小する一方で、AIを含めたマネジメントが不可欠になり、組織や役割の見直しが必要になります。
 
2つ目は、問題設定と合意形成力の重要性です。適切な問いを立てる能力と、ビジネス課題を言語化し関係者との合意形成を図る力が求められます。
 
3つ目は、批判的思考の必要性です。AIの出力内容を検証し、倫理的・法的な観点からも判断する力が必要です。

生成AIが職場に与える3つの変化
2025.10.30 Medinew『生成AIとともに乗り越える製薬オムニチャネルの「規定路線」』資料より抜粋

今回の講演とワークショップでは、他業界の先進事例から学びながら、製薬業界特有の課題について議論が深められました。チャネル活用、データ活用、コンテンツ作成といった各テーマで共有された課題は、いずれも生成AIを実務に導入する上で避けて通れないものです。技術で解決できる部分と人間の判断が必要な部分を見極め、トップのコミットメントと現場のスモールスタートを両輪として推進することが、AI活用を普及させるポイントとなりそうです。
 
今回のディスカッションで共有された課題や知見が、皆さまの現場での次の一歩を考えるうえで、具体的なヒントとして役立つ機会があれば幸いです。
 
<出典>
1)International AI Safety Report 2025
https://internationalaisafetyreport.org/publication/international-ai-safety-report-2025