話題のUXグロースを製薬マーケティングに活用するには? #1 UXグロースの基本的な考え方

話題のUXグロースを製薬マーケティングに活用するには? #1 UXグロースの基本的な考え方

現在、多くの業界で頻繁に聞かれるバズワードの一つがUX(ユーザー・エクスペリエンス;顧客体験の最大化)です。UXは業種を問わず汎用されており、UXに積極的に取り組んでビジネスを成長させている企業も続々と出てきています。
UXで成長する取り組みを「UXグロース」と呼びますが、製薬業界ではUXグロースの話題はあまり聞かれません。
そこで今回は、UXグロースを製薬業界で活用しビジネスを成長させる考え方や、異業種での事例を紹介します。

(Prospection株式会社 カスタマーサクセス プリンシパル 高橋洋明)

UXグロースとは?顧客満足度との違い

製薬業界の立場から、話題のDX/UXの本質を掴む」の記事でもお伝えしました通り、DX(デジタル・トランスフォーメーション)の本質は「UXの最大化」であり、UXは「顧客に最高の体験を提供することで、顧客に継続的に自社のファンになってもらい、結果として自社のビジネスの成長に繋げるもの」です。
UXグロースとは、UXの取り組みで顧客体験を最大化させることを重視し、自社のサービスやプロダクト、そして自社を成長させる戦略やそのアプローチのことです。

このように見ると従来の顧客満足度と何が違うのか?という疑問が湧いてくるかもしれません。
顧客の満足を追求するという点ではUXグロースも同様ですが、UXグロースの場合、常に最高の顧客満足を追求し続けていきます。そして、その目標を達成するために、さまざまなデジタルツールやデータ、新たな手法などの活用を徹底します。その際、顧客の行動データもできる限り収集・分析することで、顧客のペインポイントを明らかにし、その解決によって自社のビジネスを成長させます。
このデジタルツールや顧客の行動データの積極的な活用が、従来の顧客満足を高める活動とUXグロースの違いです。

UXグロースでは、何をするのか?顧客体験向上の取り組み

UXグロースでは、継続的に顧客を満足させ続けるために、以下のことに取り組みます。

  1. デジタルツールなどから顧客の行動データを収集・分析する
  2. 迅速に自社のサービスや製品を改善する
  3. その効果を顧客の反応から評価する
  4. 1〜3のプロセスを迅速に回し続ける


特に近年では、製薬企業も含め、多くの企業がさまざまなデジタルツールやWebサービスを利用していますし、自社開発のアプリなどもたくさんあります。そのため、UXグロースでは、自社のビジネスに関わるあらゆるデジタルツールやサービスのデザイン、機能、パフォーマンスなどを最適化し、ユーザーの満足度を向上させ続けます。

製薬業界の場合は、上記「2. 迅速に自社のサービスや製品を改善する」については、簡単に医薬品を改善するということが難しいと考えられます。医薬品の開発には多額の予算と長期の時間が必要だからです。

とはいえ、製薬業界でもUXグロースに資するさまざまなサービスの改善は可能です。
例えば、医療従事者への自社医薬品の適正使用情報の提供のために自社のWebサイトやアプリなどの利便性を高めたり、患者向けの薬物療法支援のアプリを開発し提供するといった取り組みは、最高の顧客体験の提供につながります。

UXグロースの概念図

なぜ異業種でUXグロースが注目されているのか?UXグロースが注目される3つの背景

なぜ異業種でUXグロースが注目され、取り組まれているのでしょうか?
その理由と背景を一緒に見ていきましょう。

【1. 新たなデジタルツールやサービスの登場と活用】

スマートフォンの普及に伴い、スマートフォンに搭載されているカメラ、センサーなどからも大量のデータを取得できるようになりました。

また、近年のWebサービスとしてローコード、あるいはノーコードのアプリ開発プラットフォームも登場したため、自社でのアプリ開発の自由度も格段に増しました。
最近登場したChatGPTなどの生成AIの普及と活用も、ビジネスに大きな影響を与え始めています。

このように、デジタルデバイスやツールの登場と普及、その活用によって生まれた新サービスが続々と登場している現在の状況は、自社でUXグロースを目指している企業にとって、UXの向上に取り組みやすい環境になっています。

【2. 社会的な不況下での経営陣からの要請① UXグロースへの興味関心の高まり】

長引く不況やCOVID-19のパンデミック、ロシアによるウクライナ侵攻などによって、世界経済が激変しました。これに伴い、ビジネス環境も劇的に変化しています。あらゆる業界が、従来のビジネスモデル、提供する製品やサービスを変革しなければならなくなりました。これは、自社を根底から作り変えざるを得ない、大規模な変革です。

このような状況下では、業界や企業によっては大きく業績を落とした企業もたくさんあります。その企業の経営陣から見れば、積極的な投資を控えたい状況です。そして、限られた予算で早急に売り上げを最大化したいという思いもあります。

そのような中で、UXグロースによって自社のビジネスモデルを最適化あるいは刷新して、業績をV字回復させた企業も出てきました。その話を聞きつけた経営陣がUXグロースに興味を持ち始め、取り組み始めています。

【3. 社会的な不況下での経営陣からの要請② ROIの最大化】

企業の経営陣がUXグロースに興味関心を持つのは、UXグロースがプロモーションやマーケティングコストのROIを最大化しやすいからです。

多くの企業は、業績が芳しくない中あらゆるコストを見直しました。その結果、従来の新規顧客の開拓〜獲得ではコストがかかりすぎる上、思った以上の収益が得られず、事業全体のプロフィット/ロスの改善も困難であるということが明らかになりました。一方、既存顧客から継続的に売り上げを得ることは新規顧客の獲得よりも非常に低コストで済み、業績が安定する、成長できるということも分かってきました。まさに、ベイン&カンパニーの名誉ディレクターだったフレデリック・F・ライクヘルド(Frederick F Reichheld)が発見した1:5の法則2)が、またも証明されたと言えるでしょう。 

業界や企業にもよりますが、UXグロースによって既存の顧客からの継続的な購買を実現させた場合、次のような傾向が見られています。

  • 新規顧客の開拓〜獲得にかかるコストの20〜30%程度で売上の維持〜向上を実現できた
  • アプリによる顧客のリピーター化、ロイヤルカスタマー化に成功した
  • アップセルやクロスセルが従来よりも容易になった


不況下では、多くの企業はマーケティングやプロモーションの予算で「認知獲得」や「興味関心の獲得」といった、新規顧客にかかる費用を削減する傾向にあります。それは、既存顧客に対してプロモーション活動をした方が、広告費用を抑えながら最大のROIを目指すことが可能になるからです。そして、このような予算の投下は企業の経営陣としても受け入れやすいです。

このように、UXグロースは「顧客体験の最大化によってROIを最大化する」考え方のため、業績回復を目指す企業が取り入れています。
このような背景から、多くの業界でUXグロースが浸透しています。

UXグロースの具体的な事例

異業種でのUXグロースの取り組みで成功している事例を2つ紹介します。

【1. お部屋探しのアットホーム アプリ】

賃貸住宅の仲介業のアットホームは、学生向けのお部屋探しアプリを開発・提供し、大きく業績を伸ばしました。
元々、お部屋探しアプリはたくさんあったのですが、アプリのユーザーから見たときに「自分が希望する部屋のこだわり(駅からの所要時間、部屋の間取り、備え付けの家具など)で検索した時、大量の物件がヒットしてしまい、物件を見るのが疲れてしまう」といった不満がありました。

アットホームのアプリも同様の検索結果を表示していましたが、ユーザーのこの不満に対して、他社に先駆けていち早くアプリを改善しました。

  • ユーザーのこだわりを「必須」と「できれば」で整理した
  • その上で、ユーザーのこだわりと物件がどれくらい合致するかをアプリが算出し、物件とユーザーの「こだわり合致度」を見える化した



この結果、アットホームの物件探しアプリは、ダウンロード率やユーザーのアクティブ率、ユーザーが実際に不動産会社に訪問する送客率を大幅に改善しました。

この事例は、重要な示唆を与えてくれます。
それは、アプリのようにサービスの改善がしやすい場合、ユーザーの声を丁寧に聞き取り、ユーザーの困りごとを迅速に解消できれば、自社のファンを効果的に増やすことができるということです。

これまでもビジネスの根幹は顧客の困りごとの解決でしたが、現在では困りごとの解決は当たり前で、むしろそれをどれくらい徹底できるか?に変化していると言えるでしょう。

【2. アシックスのRunkeeper】

アシックスは、ランナー向けに自社でRunkeeperというアプリを開発し、無料で提供しています。このRunkeeperは、下記のような機能を実装しています。

  • アプリユーザーのランニングで得られた種々のデータの管理(走った距離、平均ペース、消費カロリー、標高、ランニングの所要時間などを週/月/年間で表示可能)
  • ユーザーの希望に合致したワークアウトのガイドやスピード走、ポイント走、坂トレーニングなど各種ランニング、あるいはウォーキングの推奨と、その際の音声サポート
  • コミュニティの作成、フォローする人の探索、情報共有
  • アシックスが企画するバーチャルマラソンなどのレースへの参加と結果の表示
  • SNSへの共有
  • 履いているランニングシューズの登録と走行距離の自動算出によるシューズの買い替え時期のお知らせ など


これらの機能はすべて無料で利用可能です。さらに、有料版にアップデートすると本番のレースに向けた詳細なトレーニングプランをユーザー個別に自動作成し、ユーザーが大会で良い結果を出すことをアプリが支援してくれます。
また、アシックスではない別のメーカーのランニングシューズのユーザーでも、アシックスのRunkeeperを利用できます。
同様のアプリは、アディダスやナイキも提供しています。スポーツメーカーのUXグロースの取り組みは非常に積極的で、我々にとっても学びの多い良い事例です。

アシックスのRunkeeperからは、私たちは2つの重要な示唆が得られます。
1つ目は、無料版アプリが高品質であれば、それだけで新規顧客の獲得が見込めやすくなるということです。新規顧客の裾野が広ければ広いほど、最終的にロイヤルカスタマーが増えることにつながるでしょう。それが増えない場合は、その途中のプロセスを見て、歩留まりの悪い箇所を修正すれば良いため、打ち手が明確になり、無駄なコストをかけずにロイヤルカスタマーを増やせます。

2つ目は、顧客に無料版アプリから有料版アプリに移行してもらったり、ランニングシューズを自社ブランドで買い替えてもらったりするために、効果的にマネタイズしていくための仕組みをあらかじめしっかり作り込んでおくことが大切である、ということです。
Runkeeperでは、Shoe FinderというアシックスのWebサイトの機能にリンクされており、Runkeeperのユーザーが質問に答えていくと、ユーザーに最適なアシックスのランニングシューズが紹介されます。
Runkeeperに十分に親しんで、アシックスに良い印象を持ったユーザーが、アシックスのシューズを選択肢に加えるのは容易に想像できます。

異業種のUXグロースの事例を製薬業界でも活かすために

今回紹介した事例からは、現在利用が広がりつつある患者の服薬支援アプリや、ライフログを取得するアプリの品質向上、医師への情報提供というコミュニケーションラインの確保と医師の利便性向上といった、多くの場面で役に立つヒントがあります。

また、今後製薬業界でも広がる可能性があるBeyond-The-PillやDTx(デジタルセラピューティクス)といったデジタルツールやサービスのビジネスモデルを考える際に、必ず押さえておくべき重要なポイントもあります。

具体的には、

  • UXグロースのために必ず明確にしなければならない価値
  • UXグロースを進めていくためのプロセス
  • UXグロースを継続していくための取り組み

などがあります。

これらのポイントは、次回以降に改めて一緒に見ていきましょう。


<参考>※URL最終閲覧日2023.8.31 
1) 経済産業省 サービスデザイン研究会 手引書及び報告書 https://www.meti.go.jp/shingikai/mono_info_service/service_design/20200420_report.html
2) フレデリック・F. ライクヘルド, ダイヤモンド社, 2002, 『ロイヤルティ戦略論』