医師の働き方改革と製薬マーケティング 前編|これまでの医師の働き方の問題点と、これから目指す医療体制

医師の働き方改革と製薬マーケティング 前編|これまでの医師の働き方の問題点と、これから目指す医療体制

2024年4月から、改正労働基準法に基づき、医師の時間外労働の上限規制が適用されます。いわゆる「医師の働き方改革」ですが、実際のところ、私たち製薬業界への影響はまだよくわかりません。しかし、医師の働き方改革の中身をよく理解し、医師の現状を把握すると、製薬マーケティングに大きな変化が起こる可能性が見えてきます。そこで今回は、まず医師の働き方改革を改めて見直して、医師の現状とこれから目指していくことをより深く理解してみましょう。

これまでの医師の働き方は?

医師の働き方改革が進めば、医師は仕事の仕方を大きく変えざるを得なくなります。その変化について考える前に、そもそも「従来の医師の働き方は、どういう働き方だったのか?」を理解しましょう。

これまで医師の労働時間の管理は、それほど厳格ではなかった

一般社団法人 日本病院会医療政策委員会による2019年10月の「2019年度 勤務医不足と医師の働き方に関するアンケート調査報告書」1)によれば、当時の医師の労働時間は適切に管理されているとは言えませんでした。

具体的には、「医師の労働時間をどのように管理しているか」との設問では、アンケート回答病院405病院のうち、「出勤簿」222病院(54.8%)、「時間外勤務記録」191病院(47.2%)、「自己申告」145病院(35.8%)、「ICカード等ITの活用」114病院(28.1%)、「タイムカード」99病院(24.4%)という結果でした(複数回答可)。

また、そのうち「タイムカード」「ICカード等ITの活用」と回答した病院において「医師の出退勤時刻は適切に管理されているか」との設問に対する結果は以下の通りです。

  • 「一部の医師について記録・確認ができていない」が86病院(43.0%)
  • 「大半の医師について記録・確認ができていない」が7病院(3.5%)
  • 「記録漏れが多く、管理できていない」6病院(3.0%)


これを見る限り、2019年の頃は、多くの医師の勤務時間はあまり正確ではなかった可能性が考えられるようです。

厚生労働省などによる医師の勤務環境の実態把握の調査が行われたことで、このような医師の労働時間の管理実態が徐々に明らかになりました。

勤務先は、社員の労働時間などを管理することが労働基準法などで明記されており、確実に取り組むことが求められます。しかし、日本の病院も医師も、「医師は労働者」という認識がこれまでの長い間乏しかったのです。

多くの医師は、雇用契約が不明瞭だった

医師臨床研修制度が始まる前までは、多くの医師は出身大学を卒業後、そのまま出身大学の医局に入局していました。

医師臨床研修制度が始まった2004年以降、医学部の卒業生が出身大学以外の病院に勤務するようになりましたが、それでも2017年2月に全国医師ユニオンが示した「勤務医労働実態調査2017」2)では、雇用契約書がない医療機関は14.5%、「わからない」という回答が28.3%あるようです。

筆者が所属する日本医業経営コンサルタント協会の、日本の病院経営などに詳しい要職諸氏は次のように話しています。

「最近でこそ病院と医師の雇用契約書を交わすことが当たり前になってきたが、従来は医師との労働契約は口頭同意が大半で、その頃の医師に提示された年収には残業代や諸手当が全て込みの金額が提示されていた」

このことを裏付ける調査結果は見つかりませんでしたが、前述のエピソードは、病院の院長・理事長、そして医師も「医師は労働者である」という認識が乏しかった表れでしょう。

労働基準法(特に36協定)の理解が院長・理事長に足りなかった

前述の通り、病院の院長・理事長は、労働基準法に関して理解が追いついていない状況でした。

労働基準法では、労働時間は原則1日8時間、1週間で40時間以内とされています。これを「法定労働時間」と言います。「法定労働時間」を超えて、従業員に時間外労働(残業)をさせる場合には、

  • 労働基準法第36条に基づく労使協定(36協定)の締結
  • 労働基準監督署への届出


が必要です。

36協定においては、「時間外労働を行う業務の種類」や「1カ月や1年当たりの時間外労働の上限」を決めなければなりません。これが、私たちがよく見聞きする年960時間や年1960時間という数字の背景です。

医師の働き方改革によって、院長・理事長は「年収に残業代等が含まれている契約」を適切に変更しなければなりません。そして、医師に残業時間に応じて残業代を支払わなければならなくなります。

残業代の支給対象は、非管理職の医師です。これは、病院の院長・理事長から見れば、人件費の増加です。人件費を抑えようと、院長は医師の残業を減らすように指示を出しています。そのため一部の病院では、医師に情報提供できるベストタイムが変化し始めています。

従来の医師の働き方で生じた問題とは

そもそも従来の医師の働き方に何も問題がなければ、さまざまなことを変える必要はないはずです。ですが実際には、医師の働き方改革が実行されます。一体何があったのか、何が問題だったのかも一緒に確認していきましょう。

1. 長時間労働が大半の医療機関で蔓延した

これまで多くの医師は、「応召義務」の元、長時間病院にいて、さまざまな患者に対応してきました。

この風潮は全国で同様で、どこの病院でも医師の長時間労働は当たり前でした。

2. 医師の体調不良などによって医療ミスが発生し、患者やその家族にも迷惑がかかる事例が知られるようになった

前述1.の医師の勤務状況は、ヒヤリ・ハットを引き起こしたり、医療ミスにつながったり、患者が医療ミスで亡くなるといった出来事を引き起こす遠因と考えられるようになりました。

医療ミスは医療訴訟にもつながります。2021年の最高裁判所の報告3)によると、毎年800件前後の医療訴訟が新規に受理されています4)。相変わらず、医師への医療ミスのプレッシャーがかかる状況が続いています。

3. 医療訴訟が起こると医師や患者・家族双方に負担がかかるようになった

医療ミス、そしてその医療訴訟となれば、患者とその家族、医師や医療者本人、病院の負担が増すことになります。

前述の最高裁判所の資料によれば、医療訴訟の審理期間は20カ月以上かかっていました。医療訴訟は、裁判の費用や裁判のために費やす時間など、コストと時間と労力がかかります。また、関係者それぞれの名誉や評判にも関わります。

したがって、医療訴訟対策は、どの病院でも向き合わなければならない、避けて通れない課題となっています。

医師の働き方改革が目指すもの

医師の働き方改革は、これまで見てきた医師の業務上のリスクを軽減するために施行されるものです。具体的には、下記のような安心安全で、かつ効率が良い医療提供体制の構築を目指しています5)

1. 背景・意図

(ア) 良質かつ適切な医療を効率的に提供する体制の確保を推進する

(イ) これまでの我が国の医療は医師の長時間労働により支えられており、今後医療ニーズの変化や医療の高度化、少子化に伴う医療の担い手の減少が進む中で、医師個人に対する負担がさらに増加することが予想される

(ウ) こうした中、医師が健康に働き続けることのできる環境を整備することは、医師本人にとってはもとより、患者・国民に対して提供される医療の質・安全を確保すると同時に、持続可能な医療提供体制を維持していく上で重要である

(エ) 地域医療提供体制の改革や、各職種の専門性を活かして患者により質の高い医療を提供するタスクシフト/シェアの推進と併せて、医療機関における医師の働き方改革に取り組む必要がある

2. 目指すべき姿

(ア) 労務管理の徹底、労働時間の短縮により医師の健康を確保する

(イ) 全ての医療専門職それぞれが、自らの能力を活かし、より能動的に対応できるようにする

(ウ) (ア)(イ)によって、質・安全が確保された医療を持続可能な形で患者に提供できている

例:
① 医師が万全な体調で診療にあたっている
② そのことで医師の判断ミスが減り、結果として医療ミスも減り、医療訴訟といったトラブルも減っている

3. 具体的な取組

(ア) 長時間労働を生む構造的な問題への取組

① 医療施設の最適配置の推進(地域医療構想・外来機能の明確化)

② 地域間・診療科間の医師偏在の是正

③ 国民の理解と協力に基づく適切な受診の推進


(イ) 医療機関内での医師の働き方改革の推進

① 適切な労務管理の推進

② タスクシフト/シェアの推進(業務範囲の拡大・明確化)


(ウ) 時間外労働の上限規制と健康確保措置の適用(2024年4月~)

① 地域医療等の確保

1. 医療機関が医師の労働時間短縮計画の案を作成

2. 評価センターが評価

3. 都道府県知事が指定

4. 医療機関が計画に基づく取組を実施

② 医師の健康確保

1. 面接指導

2. 休息時間の確保


病院の「医師の働き方改革」への取り組みは遅れている

2023年5月29日時点では、医療機関勤務環境評価センターに

  • 医師の労働時間の短縮のための取組
  • 労働時間の短縮のための取組


の評価受審を届け出た病院は、全国で139病院とのことです6)

これは、厚生労働省の当初の目論見よりも大幅に遅れています。

ということは、大半の病院はこれから医師の労働時間短縮計画を策定するという状況だということです。

さらに、医師は「医師の働き方改革」への取り組みに、そもそもあまり積極的ではないようです。それは、医師にとって、働き方改革に取り組むメリットが感じられにくいためです。

大病院や救急病院などの勤務医が、時間外労働時間の短縮を求められます。そのような勤務医の多くは、週末には他の病院で外勤していることも多いです。しかし、医師の働き方改革においては、医師が勤務する全ての病院の時間外労働時間が合算され、年960時間、あるいは年1960時間を超えているかチェックされます。

このことによって、多くの医師の収入が減少することが見込まれています。医師は収入を減らしたくないので、この医師の働き方改革への取り組みに積極的ではないのです。

また、医師数が少ない病院で夜間の救急も受け入れている場合、働き方改革にあるような医師の休息時間の確保が難しい病院もあります。

そのため、このような病院に勤務する医師も、医師の働き方改革の実効性に疑問を持っており、現時点であまり働き方が変わっていないようです。

ここまで見てきた医師の勤務状況について、病院の施設区分やそこで働く医師個人の勤務時間などを網羅したデータが見当たらないようですが、これらを伝える記事が各メディアから報じられていますので、目にした方も多いことでしょう。

このような状況であるため、今はまだMRは医師に会えるでしょう。しかし、今後もMRが医師に会えるかは、予断を許さないと見るべきです。

なぜなら、下記のように、病院による医師の働き方改革への準備のタイムスケジュールに、全く余裕がないからです。

  • すでに、2024年4月までに医師の時間外労働時間を1860時間以下へ減らすことが病院にも医師にも求められている
  • 現在医師は、勤務先の病院と雇用契約の確認、自身の労働時間短縮計画の作成といった事務作業に追われている
  • 病院による医療機関勤務環境評価センターへの医師の労働時間短縮計画等必要資料の提出が、すでに始まっている
  • 医療機関勤務環境評価センターによる評価期間が4カ月必要で、その後都道府県の医療審査会の審査を経て承認、その病院は連携B・B・Cの指定を受けるが、都道府県の医療審査会は決まった時期にしか開催されない(東京都の場合は、第1回は7〜8月、第2回は11〜12月)ため、その時期に全ての審査プロセスを通過しなければならない


そのため、私たちにとって重要ターゲット医師と考えられる病院の診療部長、科長、医局長といった管理職の医師は、現在書類作成のために非常に多忙な状況です。

医師の働き方改革の話題が出てから、具体的な取り組みに着手するまで、病院が手をこまねいていたため、時間の余裕がなくなり、そのしわ寄せが医師にもきたというのが本当のところではあります。

そしてその影響が、MRと医師の面談の機会の喪失など私たちのマーケティングにも波及してきたのが今である、ということも言えるでしょう。

プロダクトマネージャーの役割は、ますます重要になるか

2024年4月以降、医師の働き方改革によって医師の労働時間短縮計画が実行されれば、プロダクトマネージャーの製品戦略の実行や医師へのメッセージの伝達は、困難になる可能性があります。

タスクシフト・タスクシェアが進まない病院だと、医師がこれまで通りの業務量を勤務時間内で終わらせなければならなくなるため、MRとの面談時間やWebセミナーへの参加時間が削られるためです。

そのため、これからの製薬企業のプロダクトマネージャーにとって、「医師への情報提供のコミュニケーション全体をどのようにデザインするか?」というテーマは、避けて通れない非常に重要な取り組みになることは間違いないでしょう。

次回は、医師の働き方改革を踏まえた製薬マーケティングの具体例を一緒に考えていきます。

<出典>※URL最終閲覧日2023.06.09
1)一般社団法人 日本病院会医療政策委員会, 2019 年度 勤務医不足と医師の働き方に関するアンケート調査報告書(https://www.hospital.or.jp/pdf/06_20191126_01.pdf
2)全国医師ユニオン, 勤務医労働実態調査2017(https://www.hokeni.org/docs/2018031600036/file_contents/180220_union_workingdr2017-D.pdf
3)最高裁判所資料, 医事関係訴訟に関する統計(https://www.courts.go.jp/saikosai/iinkai/izikankei/index.html?_fsi=OegArT7b#iji06
4)最高裁判所資料, 医事関係訴訟事件統計(https://www.courts.go.jp/saikosai/vc-files/saikosai/2022/220701-iji-toukei1-heikinshinrikikan.pdf
5)第31回地域医療構想に関するワーキンググループ, 令和3年2月12日参考資料 良質かつ適切な医療を効率的に提供する体制の確保を推進するための医療法等の一部を改正する法律案の閣議決定について(https://www.mhlw.go.jp/content/10802000/000737490.pdf
6)医療機関勤務環境評価センター, 評価センター受審申込 受付状況 令和5年6月5日現在(https://sites.google.com/hyouka-center.med.or.jp/hyouka-center