#7 製薬企業でも進むサービタイゼーションの価値|医薬品市場でのCX創造のためのソーシャルリスニングとデザイン思考の応用

#7 製薬企業でも進むサービタイゼーションの価値|医薬品市場でのCX創造のためのソーシャルリスニングとデザイン思考の応用

この連載では、ソーシャルリスニングとデザインシンキングの思考法を繋ぎ合わせたプログラム「ペイシェント・リーダー®」を活用して製薬企業のマーケティングサポートに携わってきた経験をもとに、ペイシェント・セントリックな顧客体験(CX)を創造するための重要なプロセスを解説します。第7回の最終回は「製薬企業でも進むサービタイゼーションの価値」がテーマです。

(トランサージュ株式会社 代表取締役 瀧口 慎太郎)

【連載第7回】製薬企業でも進むサービタイゼーションの価値
前回まで、ソーシャルリスニングによる患者さんのリアルな声の可視化やデザイン思考をベースにしたワークショップなどのお話をしてきましたが、今回は少し大局的な視点から「医薬品産業はこれからどこへ向かおうとしていて、その未来において顧客体験創造がどう関わるのか」を考えてこの連載を終えたいと思います。

「デザイン経営宣言」にみる企業成長のための顧客体験創造の重要性

経済産業省が2018年に「デザイン経営宣言」1)を示しました。デザイン経営とは『デザインを企業価値向上のための重要な経営資源として活⽤する経営』のことで、デザインシンキングという思考法だけでなく、デザインのビジネスへの効用を経営資源として取り入れて活用する手法です。

デザイン経営はブランドとイノベーションを通じて企業の産業競争力の向上に寄与する

出典:経済産業省・特許庁, 2018.5.23, 「デザイン経営」宣言より改変引用

https://www.meti.go.jp/shingikai/economy/kodo_design/pdf/001_s01_00.pdf

この宣言の関連資料2)からは、インターネットの登場によってすべての産業はデジタル世界に包み込まれ、消費者の価値観をモノからコト=体験へシフトし、企業間競争のフォーカス(焦点)を「商品そのものだけの魅力向上」から「商品に関わるすべての体験向上」へとシフトさせたことが分かります。

「商品に関わるすべての体験向上」とは、たとえば決済方式などを含むユーザーインタフェースやロゴなどのビジュアル、ショールームなどの空間、接客スタッフの仕草や言葉遣い、などを指します。そして、魅力ある新たな体験価値を生み出すためには、それを創造するための大方針=エクスペリエンス・アイデンティティ(XI)をそれぞれの企業が策定した上で、自社が提供する商品やサービスに関するカスタマー・ジャーニーの各ジャーニーフェーズでの顧客体験を整理することが重要、とされています。

デザイン経営宣言が示された背景には、VUCA時代における企業成長の舵取りの難しさがあります。経済産業省は、企業がこの難しい時代を乗り越えて継続的な成長を導くためのヒントとして、この宣言を示したと考えることができます。事実、この宣言ではデザインを経営資源として投資した企業が「他の企業に比較して4倍の利益が得られたこと」や、「S&P500全体との⽐較で株価が2倍以上成⻑したこと」などのパフォーマンスが紹介されています。
※VUCA:Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の4単語の頭文字による造語。不確実性が高く将来の予測が困難な状況であることを指す

デザイン経営宣言が強く訴えかけている「デザイン投資」や「顧客体験向上」は、この連載でご紹介したCX創造やデザイン思考の考え方にまさに重なります。ただ一方で、これらは、従来の経営では全くと言っていいほど顧みられることのなかった価値観です。したがって、「そんなことでどれだけ売上が上がるのか」といった論調が少なくないことも確かです。そこで、顧客体験創造に対する時代のニーズを感じさせるストーリーをもう一つご紹介します。

サービタイゼーションの潮流

日本ビジネスの再興に関する近著『再興 THE KAISHA 日本のビジネス・リインベンション』で有名な、カルフォルニア大学サンディエゴ校教授 ウリケ・シェーデ氏によれば、グローバルにおいて2000年から2020年の製造業の売上構造が製品そのもの売上から製品以外のサービスによる売上へシフトしています。氏によればこれはデジタル化が根本原因にあり、製造業のサービス化=サービタイゼーション(Servitization)が起きていると語ります。サービタイゼーションとはつまり、「商品そのものだけの魅力向上」から「商品に関わるすべての体験向上」を意味します。

サービタイゼーション

たとえば、自動車産業のサービタイゼーションは、MaaSとして有名です。トヨタ自動車の豊田前社長が「モビリティカンパニー」への変革を宣言したのは、2018年1月のコンシューマー・エレクトロニクス・ショーでした。宣言の内容は、従来の「自動車をつくる会社」から「人々のあらゆる移動を支えるモビリティカンパニー」へとモデルチェンジするというものでした。豊田前社長のこの宣言の背景には、CASE(コネクティッド/自動運転/シェアリング/電動化)などデジタル化による自動車業界を取り巻く大きな環境変化があったと言われます。

シェーデ氏は、これからの製造業はそれぞれの業種ごとにデジタル化/DX化の洗礼によるXaaSへのシフトが起きるであろう、と指摘しています。デジタル化の洗礼は、当然ながら医薬品産業にも及んでいます。その意味では、医薬品産業にもサービタイゼーションへのシフトの波は確実に忍び寄っている、と考えるのが自然ではないでしょうか。

医薬品産業におけるサービタイゼーション視点の必要性

いかにサービタイゼーションへのシフトの潮流があるとはいえ、自動車産業と医薬品産業における商品需要の性質の差が気になることも確かです。たとえば自動車産業では、特に若者を中心に「クルマを所有すること」から「移動手段としての利用」へとニーズが明らかに変化しているため、MaaSへのシフトは必然性があるだろうと理解できます。一方で、医薬品はヒトの生命や健康の危機において確実にニーズのある商品であり、そのニーズ・レベルは今後も変わりないはずだという点です。

この点を考えるために、いま医薬品産業が置かれている環境を見回してみます。

  1. 医療費抑制の圧力:先進国諸国における高齢化に伴う医療費増加は、グローバルレベルの課題となっています。各国政府はそれぞれに医療費抑制政策を推進し、医薬品価格だけでなく医療費全体を抑制できる効率的なシステムへの変化が求められています。
  2. 患者価値観の多様化:患者の治療に対する期待が、病気を治し症状を改善する効果だけでなくQOL(生活の質)の向上も含まれるようになりました。優れた医薬品の提供だけでなく、健康や生活への相談、メンタルやファイナンス・サポートなど、包括的なサービスへのニーズが高まっています。
  3. デジタル技術の進化:デジタル技術の進化はアプリケーションなど医薬品以外のツールによる治療を可能にし、これまで想像しなかったプレーヤーに新規参入の門戸を開いています。また、ウェラブルデバイスによる膨大かつグローバル規模でのリアルタイムかつ詳細なヘルスデータの蓄積は、これまでにない新たなヘルスケア・サービスやプラットフォームの創出を期待させます。
  4. 情報のグローバル化による研究開発力の同時代化:最先端の研究情報や最新技術のグローバル化は、世界中の製薬企業が同様な研究テーマや類似技術による医薬品開発を進めることの可能性を高めます。例えば、免疫チェックポイント阻害剤やmRNA技術によるコロナワクチンが複数の企業からほとんど間髪を置かずに上市されたこともその一例です。こうした開発力の同時代化は企業間競争の激化と製品差別化の難しさを助長するために、製薬企業は製品以外の領域での差別化を図る必要性に迫られています。


医療コスト圧力や顧客の価値観の変化、デジタル化による異種産業からの新規参入、開発力の同時代化による差別化の難しさなどは、医薬品産業を巡る環境の一部に過ぎないかもしれません。ただ、これらを見るだけでも、これまでの製薬企業の在り方を継続するだけで成長を得られるかどうかには疑問符が付くことは明らかです。

デザイン経営宣言における顧客体験向上は、製薬企業では良い薬を市場に提供するという従来のカタチから、患者さんのあらゆるジャーニーフェーズにおいて新たな体験価値を創造するというカタチへのシフトを意味します。そしてウリケ・シェーデ氏が唱える製造業のサービタイゼーションへのシフトも、正に同じ方向を示しています。つまり、医薬品以外のサービスによって新たな顧客体験を提供することが、製薬企業におけるサービタイゼーションのカタチと考えられ、製薬企業のこれからの成長要素として極めて有用な処方箋と捉えることは決して的外れではないでしょう。

すでに始まっているサービタイゼーションへのシフト

医薬品産業におけるサービタイゼーションへのシフトとして、すでに一部の製薬企業ではそうした取り組みがスタートしています。下記に例をまとめます。

武田薬品工業

アプリケーションによりがん患者さんのQOL向上とより良い治療アウトカムを目指し、ウェアラブルデバイスによりパーキンソン患者さんの振戦やジスキネジアなどの症状モニタリングに応用

大塚製薬

統合失調症の患者さん向けにVRコンテンツを開発し、患者さんのソーシャルスキルトレーニングに展開

CSLベーリング

血友病患者さんのために、持ち帰り医薬品の多さと温度管理の必要性などの課題に対してアルフレッサとヤマト運輸との連携で患者宅特殊配送サービス「Home Care Delivery」を展開

エーザイ

ライフネット生命との協業で、認知症や軽度認知障害(MCI)の早期発見・早期治療をサポートする認知症保険を共同開発し、ライフネット生命より販売。また、本田技研と高齢ドライバーの認知機能や日常の体調変化と運動機能との関係性に関する共同研究を開始。

現状では、グローバル展開する製薬企業が先行している様子ですが、いずれさらに多くの製薬企業がこうした試みをスタートさせ、患者さんのあらゆるジャーニーフェーズにおける新たな体験向上を支援するようになるのではないかと考えています。

こうした製薬企業における商品に関わるあらゆる経験向上へのシフト=サービタイゼーションは、単に患者さんを対象にした「治療」だけではなく、健常者を対象にした「予防」にまで広がる可能性を、先のテストケースからも感じられます。

医薬品産業におけるサービタイゼーションはHealthcare as a Service=HaaSと呼ばれていますが、私は”「より健康な暮らし」を作り出すサービス”という意味を込めてHealthier-life as a Service=HaaSと称することが相応しいと考えています。

HaaSの創造は、ロジカルシンキングだけではできない

ロジカルシンキングだけでは、解決が難しい理由

HaaSの実現には「従来の企業経営の価値観だけでは具体策が浮かばない」という、大きな課題が立ちはだかります。実際、世界中の多くの経営学者や実務家が、「現代の経営課題に立ち向かうためには従来型の論理的思考だけでは解決が難しい」と指摘しています。
その理由として、以下のような状況を挙げることができます。

  • 企業環境は複雑化して、単純な因果関係だけでは説明できない課題が増えている
  • さまざまな事態が予測困難で、過去のデータや論理に基づいた分析だけでは最適な意思決定ができないケースが増えている
  • ヒトの価値観の多様化は想像以上の広がりを見せ、所属コミュニティ(組織、地域、国など)の既存の価値観に基づく論理だけでは対応できない課題が増えている


したがって「共感力や創造性などの多様な思考を組み合わせることが必要だ」というのが、「論理的思考だけではダメ派」の主張です。

ロジカルシンキングにおける「発見力」と「構成力」と創造性への限界

ロジカルシンキングは、顧客や社内ステイクホルダーを納得させる筋道の整ったストーリーを構築するためにも重要で、正しく考えるためには2つのチカラが必要になります。

ひとつは課題を解決するために重要な前提事実を選び出すための「発見力」、そしてもうひとつはいくつかの前提事実から共通するパターン(類似性だけではなく差異性も含めて)を見出し矛盾なく飛躍なく整った道筋を描くための「構成力」です。

ロジカルシンキングで新しい価値を生み出しにくい理由は、この「発見力」にあります。なぜならば、ロジカルシンキングの定番の演繹法や帰納法では、そこで用いる前提事実を実際に存在する事実から選ぶという特性があるためです。したがって、まだ存在しない理想像や新しい価値観などの前提事実を論理的思考の枠組みを利用して見つけようとしても、それを見つけることはできないという堂々巡りに陥ってしまうためです。

共感力や創造性などを組み合わせるための思考法

共感力や創造性などを組み合わせるための思考法のひとつがデザイン思考で、これ以外にも「バックキャスティング」といった考え方があります。「バックキャスティング」は、「ありたい姿」の設定からそれを実現するための道筋を未来から現在へとさかのぼり戦略やマイルストーンをロードマップとして整理する思考法です。味の素などの一部の企業では、従来の中期経営計画を廃止してバックキャスティングを経営戦略策定に用いることが始まっています3)

まだ存在しない理想像や新しい価値観を見つけるために、価値の多様性に対応可能なOut-of-Box的な視点が求められ、その視点例としてデザイン思考やバックキャスティングなどが用いられ始めているのでしょう。

連載の最後に

今回の連載では、製薬企業のCX創造のためのソーシャルリスニングとデザイン思考を中心にご紹介してきました。ソーシャルリスニングもデザイン思考も、言ってみれば技法に過ぎません。ただ、この2つの技法は、これからの医薬品産業がさらに成長し、より多くの人々に元気やイキイキさを提供するためにとても重要な役割を担っていると考えています。

たとえば、私たちが提供しているPatient Reader®というソーシャルリスニング・サービスでは、患者さんインタビューやアンケート、患者会へのヒアリングなどではなかなか耳にすることのできない、以下のような患者さんのあらゆるジェーニーフェーズにおけるリアルな声をナラティブとして聴くことができます。

  • 発症した症状の様子、その時のつらさや採った行動
  • 最初に掛かった医療機関のタイプ、医療機関へ行こうと思ったきっかけ
  • 初診や再診の時に下された仮の診断内容や施された治療内容
  • その後の確定診断までの経緯や掛かった年月
  • その間に経験した辛かったことや悩んだこと・・・


あらゆるジャーニーフェーズにおける患者さんのリアルなナラティブを聴くことによって、デザイン思考が大事にしている共感や課題の定義、そして顧客体験を向上させるための新しいアイデア創りに繋ぐことができます。顧客体験の創造や、そのための技法であるソーシャルリスニングやデザイン思考に興味を持っていただき、新たな視点で世の中を観察してみてください。新しい視点で見ることで、きっと新しい光が灯ると信じています。

こうした患者さんの切なるナラティブをこれからの医療の向上に活かすことが、医療産業の傍にいるわたしたちの使命だと考えています。そのためには、製薬企業など大事な私たちのパートナーの皆さまと共に、患者さんの未来を明るくするための新たな取り組みの創造に力を尽くしていきたいと考えています。
そしてぜひ、皆さまのおチカラも、そんな未来の実現にお貸しいただければ幸せです。

<出典> ※URL最終閲覧日2024. 11.13
1) 経済産業省・特許庁, 2018.5.23, 「デザイン経営」宣言, 
https://www.meti.go.jp/shingikai/economy/kodo_design/pdf/001_s01_00.pdf

2) 産業競争力とデザインを考える研究会, 2017.10.12, 第四次産業革命とデザインの役割,
https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/13022278/www.meti.go.jp/committee/kenkyukai/sangi/sangyo_design/pdf/004_s01_00.pdf

3) 味の素株式会社, 2023.2, 中期経営計画をやめる、って本当ですか?~教えて!藤江さん~, 
https://story.ajinomoto.co.jp/report/089.html

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Patient Reader